キングダム蒙恬はモデルもイケメン!その上秦史上3本の指に入る名将軍だったらしい

キングダム蒙恬

キングダム信のモデル・李信についての記事でも書きましたが、キングダムには実在した人物をモデルとするキャラクターが多数登場します。

みんな(特に女子/そして私調べ)大好きキングダム蒙恬も、実在人物をモデルとしたキャラクターの一人。信とは違い、まんま「蒙恬」さんという方が実在したそうです。しかも、秦の歴史上3本の指に入ると言われる名将だったうえに、なんと、筆の発明者であるとも言われているらしい…?!

今日はそんなキングダム蒙恬の実在モデル、蒙恬さん(ややこしいのでモデルの方はさん付けしていました)のことを調べてみました。

目次

(ちょっと…いやかなり趣向が違うけど)実在した蒙恬さんもイケメン!

キングダム蒙恬は、フェミニンなイメージの美少年。漫画の中でも女子に人気がある様子が描かれていますし、ネットをお散歩していると、蒙恬ファン女子読者にもよく出会います。そしてそんな私も蒙恬ファン。

キングダム蒙恬

うん、やっぱりイケメンだわ蒙恬。目元のほくろ、好きです。

そして、キングダム蒙恬のモデルとなった蒙恬さんの肖像画?はこちらです。

蒙恬

うん、かっこいいと思う!イケメンだと思う!けれど、キングダム蒙恬とは全然似ていないですね。
フェミニンというよりどちらかというと男らしくて猛々しい感じがしますし、目元のほくろもありません。
髪の毛はもしかして、長いのかな。キングダム蒙恬と蒙恬さん、どちらが好きかは好みが別れそうですね!
ちなみに私はキングダム蒙恬派です。

史実上の蒙恬さんはどんな武将だった?

では蒙恬さんはどんな武将だったのでしょうか。

万里の長城を造築。始皇帝から絶大なる信頼を得ていた

蒙恬は当初は文官として宮廷に入り、訴訟・裁判に関わっていた。

紀元前224年、李信の副将として楚討伐に加わり、寝丘(河南省)を攻めて大勝した。その後、城父(河南省)で李信と合流したが、李信の軍を三日三晩追い続けていた楚の項燕(項羽の祖父)に大敗した。

引用元:https://ja.wikipedia.org

蒙恬さんは最初は文官だったのですね。また、紀元前224年には李信と共に楚を攻めています。李信といえば、キングダム信のモデルとなった将軍ですね。なんか嬉しい。

特に有名なのは以下のエピソードのようです。

紀元前215年には30万の軍を率いての匈奴征伐では、オルドス地方を奪って匈奴を北へ追いやると、辺境に陣して長城、直道(直線で結ぶ道)の築造も担当した。

引用元:https://ja.wikipedia.org

長城とは、かの有名な万里の長城のことです。秦の始皇帝が築いた、と確か歴史で勉強しましたが、実際に指揮をとったのが蒙恬だったんですね。なんだか急に実物を見てみたくなってきました。
匈奴の討伐や万里の長城の造築などの軍功で、蒙恬は始皇帝から絶大なる信頼を得ていたと言われているそうです。

蒙恬さんは筆の発明者?!

ウィキペディアによると、

蒙恬さんは筆の発明者だとも言われているという記述を目にしましたが、実際はどうなのでしょうか?

蒙恬が獣の毛を集めて作り、始皇帝に献上したのが筆の始まりとされていた。しかし1928年に戦国時代の遺跡から筆が発見されたのでこの説は覆された。現在では甲骨文字の中に筆を表す文字が発見されており、筆の発明は殷代まで遡るのではないかと考えられている。蒙恬は筆の発明者ではなく、筆の改良者とされている。

引用元:https://ja.wikipedia.org

とのこと。発明者ではなく改良者なのですね。
どちらにせよ、筆って、あの筆ですよね。絵の具で絵を描いたり、書道で字を書くときに使う、筆。蒙恬さん、すごいなぁ。

蒙恬さんの最期・・・(涙)

史実として残っている蒙恬さんの最期ですが、キングダム蒙恬ファンの私にとってはとっても胸の痛む、悲しい最期でした。ごめんなさい、ここでは詳細は割愛させていただきます…気になる方はぜひググってみてください。せっかくこの記事を読んでくださっているのにごめんなさい。でも、悲しすぎて書けない(涙)

キングダム蒙恬の今後のイケメンさ&活躍に期待!

蒙恬さんは、戦争での武功や万里の長城の造築などの軍功で、秦史上3本の指に入る名将と言われるに至ったのですね。
キングダム蒙恬も、イケメンかつ頭脳派、将来有望な若手武将として描かれています。私も、しがない1蒙恬ファンとして、今後の活躍をヤンジャンで追いかけていきたいと思います♡

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